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004 エッセイ「京都丸平人形店の稚児雛、可愛い!」 陶芸家 山本義博「雛の会」HP

山本義博さんの雛コレクションの多くは、京都丸広人形店の代々の人形が多い。もちろん、京の都には天皇や公家や、武士の社会が続いたから華やかな雛人形の歴史も日本一と言ってもよい。埼玉県岩槻の雛の歴史も古いが人形としての雛になってからは、京都が群を抜いて古いに違いない。

 内裏雛も良いものだが、京都特有の稚児雛は、何と言っても京都で作られるものが好きである。顔のふくよかさ、表情の豊かさ、その衣装の華美なこと、そしてその生き生きとした動き、雛人形アクセサリーに付属している玩具の細工と種類の多さ、どれをとっても一点の非の打ちどころのなさは、さすが、この都を代表する丸平人形店工房の作品である。 先日、六角通り柳馬場東入るにあるお店を訪ねて第七代目大木平蔵様とお会いしたが、昨今の雛に対する一般の考え方が変わったためか売れ行きがどんどん低下し、雛を作る職人も減ってしまって、末は、衰退するだろうと嘆いておられた。これは、単純に経済的な理由などではなく、根本に宗教心の薄れがあるからだろうと思う。

 子供の安全、無病息災を願い人形に子供を守ってもらうことを念願して飾ったものが、雛も粗製乱造儲かればなんでも良い、買う側も安ければいいと言う時代だから、今は平気で捨てられタライ回しにされ、果ては山に積まれ、観光客の人寄せに使われている愚かさに、心ある人は内心悲嘆に暮れているように思う。世の中には事情があって泣く泣く手放さなければならない人もいるだろうが、全ては、そのようだとは思えない。

私の友人の娘さんは、自分の雛が40年もたったからと顔や衣装を直して貰いに人形店に持ち込み、修復してもらったと語っていた。

娘さん曰く、「これは、おばあちゃんがなけなしの小遣いから買って呉れたのだもの、要するに世の中に二つと無い物ね、二度と買えない物ね。娘が健康で賢そうに育つのもこのお雛さまの所為ね。でも、私は行き遅れたけど」。「行き遅れたから、今の良いお婿さんにあったじゃないか。そして、両親よりもはるかに美形が生まれたのだから、おばあちゃんのお陰だよ。」と大爆笑になり、だから末永く孫や曾孫や玄孫に手渡したらと一件落着。

友人は、「その時代には、修理をしてくれる人が居るだろうか」と私に問いかけた。やむを得ず手放されたであろう昔の雛たちを探し求め、心ある人たちに見て戴きたいと何処にでも、雛を探しに出掛けるのである丸平大木人形店の屋号は丸屋、江戸明和年間より御雛京人形司として、当主は代々大木平藏を襲名している。(現当主七世)お店の開店は、今から150年前と言うから天保時代1830-1843)仁孝天皇、将軍は12代将軍家慶1837-1853)はペリー来航などで騒がしかった時代であるがこの時代に大阪城で病死する。

近年、NHK大河ドラマ47作目「篤姫」で徳川慶喜出演。店舗は、四条に置いたが近年閉店、現在の京都市中京六角通り御馬場東入るの店舗だけになった。

NHK大河ドラマ一覧表篤姫京都雛祭さいたま市岩槻区稚児/[Wikipedia]丸平人形店(オフィシャルサイト)

No 歴代 姓名 生年 没年 備考・養子など
1   大木平蔵 1823[文政06]
2 二代目 大木平蔵【喜平次】 1888[明治21]
3 三代目 大木平蔵【喜平】 1834[天保05] 1834[天保05]
4 大木アサ 1866[慶応02] 1954[昭和29]
5 四代目 大木平蔵三浦○○】 1859[安政07] 1939[昭和14] 河原町丸田町近辺の酒造三浦家より養子
6 大木ヌイ 1891[明治24] 1978[昭和53]
7 五代目 大木平蔵西河源三郎】 1885[明治18 1941[昭和16] 四条堺町の店前の西河家より養子
8 六代目 大木平蔵東一郎 1913[大正02] 1994[平成06] 
9 七代目 大木平蔵 丸ひら人形店・パンフレットより
   日出太の下手な綴方・詩作・もろもろのエッセイ目次
     作成:2013/02/23 (土) 19:00:14/修正:2013/03/26 (火) 20:02:41