No 年月日 タイトル 掲載誌・新聞 地域 解説・写真・図版
007

團伊玖磨先生との或る日の事

「パイプのけむり」より 秋谷 2枚秋谷の山の頂上にあった團伊玖磨邸
  團先生の文章には、「銀座のさる酒場……」等の表現がよく出てくる。少し秘密めかして、なんか隠微な感じがする、読み手にとっては、もしかしたら、先生の隠しママがいるのかもしれない、場所は、何処だろうと詮索したくなる。しかし、銀座の泰明小学校近くの小山さん、牟田口さんが働いている「スーリー」という2階にある小さなバーのことは、男だけの働く女のいないバーと強調し、女の居る酒場には行かない。と断定されている。[14巻(51、「木瓜」)1981.7.31]

「酒を飲む習慣は消えてしまっている。極偶に杯を持つことがもあって、そんな時には、昔、別れた女に行き逢った時にも似て悲しいような、懐かしいようなそれでいてちょっと腹立たしいような言うに言われぬ感懐が立ち昇る。……」先生の行き付けの酒肆(しゅし)は東京銀座(スーリー)に1軒、京都祇園(南一)に1軒、博多東中州1軒、なぜ3軒なのか、わずらわしさがないからだとおっしゃっている。種子島のを題材に小山さんとの絶妙な会話のやり取りが面白い。ちょっと、エロチックなことを上品に落としている。そして、何気なく種子島銃と鋏の歴史に移行して行く。固くて馴染まなかった種子鋏は、その後、先生の手の内で馴染むのにどのくらいの年月を経過したか聞きそびれてしまった。    [15巻(64,「種子鋏」、83]

伏見のにごり酒「月の桂」益田徳兵衛蔵元に酒肆スーリーの小山直志さんと出掛ける。東京駅新幹線を待つ間壁にかかった銅板の文字を手帳に書き留める。『この鉄道は日本人の叡智と努力によって完成された』と書かれた東海道新幹線についての銅板を、先生は、そのうらにある多くの歴史的事実とともに日本人の優秀さについて述べておられる。JRのこの偉業に関わった人々に感謝をこめて、新幹線乗降の際に、この銅板の前に佇みこの短文を読み返すと書いておられる。先生の好奇心に脱帽、お蔭で先生からJRの歴史的知識を学ばせて頂いた。小山さんとの新幹線の旅には、もっと、もっと面白いドラマがあったに違いない。ここに記された銅板物語は、ほんの一部に違いない。小山さんを尋ねてお聞きしよう。[17巻(226)「銅板」]

先生は、ことさらにスーリーは、女のいない酒場だと強調される。何か女が居ては具合の悪いことでもあったのだろうか。誰かに悋気を受けていたのだろうか。公の場に書き連ねるのがまずいと思われたのだろうか。「今年の正月、帝国ホテルで待ち合わせしたら、佐藤が着物姿できたのよ。周りの人が團さん芸者さん連れて歩いていると思ったらしいの。 でも、帝国ホテルの人は、初釜があることを知っていて説明をしてくれたらしい。と、何かうれしそうに話してくださった。まんざらでもなさそうで、彼女の着物姿もなかなかいいのよと例の鉄の歯を露に笑っていらしたのが印象的だった。小山さんと爆弾三銃士の歌を歌っている先生の声が聞こえるようだ。ややかすれ気味に細く高い声を出されていた。私にいつだったか、初恋を歌っていただいた。何故だったか記憶にないのだが、夢二の話からだったように思う。酒を奨めないから良いという店に一度、行こうねと言われていた先生に敬意を表して先生の写真とやってきてしまった。[19巻、(248,251「爆弾三銃士」]

この写真は、心筋梗塞で倒れられる前年12月の写真である。窓から見た秋谷の海、天気の良い日は富士山が正面に見える。 (早崎日出太)    

   日出太の下手な綴方・詩作・もろもろのエッセイ目次
     作成:2013/02/23 (土) 19:00:14/修正:2013/04/04 (木) 7:49:03  トップ頁目次