n大石芳野全仕事
カメラを肩に見た世界
 それは、喜怒哀楽と共に私の心を捉えた
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大石芳野フォト・ドキュメントパプア人・いま石器時代に生きる」 写真は著書より
NO 年月日 タイトル 出版社 価格 ISDN 寸法 備考
6 1981.03.20 パプア人・いま石器時代に生きる 平凡社 \6,800 271×203×30
 
  大石芳野は、1971,1973,1975年の3回の訪問でニューギニア高地に7ケ月滞在し、この写真の方たちの家族の一員になった。
 初産の若い母親に立ち会い、この母親が生んだ女の赤子に「シノ」と言う名を付けたり、狩りに出たり、子どもたちの遊び相手をしたり、ドキュメンタリー作家は燃えていた時代だった。今の時代と違う、日本の軍隊が残した幾つもの悪評で、日本人に恨みを持っていただろう人々が住む地で、恐らく御両親は心配だっただと思う。
  娘は、この間、タロイモを食らい、有袋類の骨をしゃぶっていたのだろうか。
嫁になってくれと迫られたのだろうか。
 でも、きっと村人たちは、何くれとやさしく、遠い、東洋から来た勇気ある少女を歓迎してくれたことと思う。
 この頃、個展で見た彼女の作品は、男のカメラマンが撮影したものだと思い込んでいた。このような過酷な環境、マラリア蚊、寄生虫、毒虫、毒蜘蛛、毒蛇、猛獣と昔の少年小説のいかがわしい探検記や読物に毒されていた僕は、このような環境に、若い女性が行くところではないと勝手に思い込んでいたからだ。
 さすがに世界各国を訪れた團伊玖磨は、ニューギニア高地を訪問はしていなかったが、ジャワ島やボルネオ島に演奏訪問していた。
 その團によると、チーズとバターと砂糖と椰子油を捏ねたような強烈な匂いのドリアンを食した話や濃厚な美味マンゴスティーンは、7つの海を制圧した英国のヴィクトリア女王が本国で食す事が出来なかった。それは、今のように飛行機や冷蔵庫がなかった時代だったからだ。など、スマトラ諸島の食について面白可笑しく話していた。どのように想像を巡らしくても、その家族の一員として付き合うには、信用を得なければならず、長期間、寝食を共にしなければならかったのだろう。
 言葉のこと、日常生活の事、洗濯は、風呂は洗面は、水は、食事は、原始生活のどのようになっていたか、この著書に記されていない細部を詮索したいものである。 (早崎日出太)
   
No タイトル 写真枚数 掲載頁 備考
01 序 岡正雄(【民俗学者】 6-8 書き掛け項目
02 パプア・ニューギニアの文化(アンドルウ・ストラーサン) 
【社会人類学者・ロンドン大学】
10-38
03 ニョーギニア地図 39
04 ●カラー・心優しき高地民 37 41ー200
05 取材を終えて 6 204-217
06 後記
219
Wikipediaより カスカス=クスクスサツマイモタロイモパプアニューギニア独立国ニューギニア人/メラネシア人マレー人パプア人ネグリト人ポリネシア人シン族/クカクカ族メニャ村/パンダナスの葉セピック川流域パールバック・大地フクロモモンガ古事記豊玉姫メラネシアンアート/主都ポートモレスビーパプア湾有袋類
関根岳是=團伊玖磨世界植物図鑑より ショウガスイレンサツマイモ
装丁・レイアウト:木幡朋介、ジオルジオ・ムナーリ/写真・文:大石芳野