n大石芳野全仕事
カメラを肩に見た世界
 それは、喜怒哀楽と共に私の心を捉えた
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大石芳野フォト&エッセイ「HIROSHIMA 半世紀の肖像 安らぎを求める日々
NO 年月日 タイトル 出版社 価格 ISDN 寸法 備考
20 1995.03.03 HIROSHIMA 半世紀の肖像
~やすらぎを求める日々
角川書店 \3,900 4-04-851108-4 C0072 256×182×17 クリック
 8月6日のまだ夜が明けないうちから人影があちらこちらで動く。小さな灯を手にした人、線香や花を抱えた人たちが、背を丸くし、うつむきぎみに視線を地に落としながらゆっくりとした歩調で行く。愛しい人を弔う場所へ向けて、歩く。
 星が瞬く空の、その先から、あの人がこちらを見ているような思いにかられながら、あの人を祭ってあるはずの、ごく個人的な場所へと、歩を進める。ほんのりと空が薄らいでくるころには、つかの間の対面を闇の中で済ませた安堵とともに、あの忌まわしい記憶が蘇って怒涛のように押し寄せる。夏が来るたびに、葛藤が繰り返される。
 半世紀もの間、そんな気持ちで過ごしてきた。この複雑さは、自分でもどうすることもできない。
 他人は嘲笑するだろう。だから、何とか格好よくしていたい。どのようにして……?愛しいあの人は言うかも知れない。
 「もう、いいよ。もう、忘れてくれていいの。50年も前のことだから」
 そうできたら、彼らはどんなに心が解放されるだろう。この、悶々とした難難辛苦の思いを、拭い去ることができるなら、どんなに晴れ晴れとすることか。でも、それは、多分、死が訪れるまでできないのではないだろうか・…‥。
 被爆した人たちは、何度も何度も、自分の心を問い詰めてきた。助けることができなかった、自分だけ逃げた・…‥と。でも、絶体絶命の状況だったから仕方なかった、と、私は慰めにもならない言葉を呟く。(大石芳野 あとがきの一部)
 
No タイトル 写真・文章の内容 掲載頁 写真掲載 特記事項
はじめに ヒロシマを撮りはじめて 4 書掛け項目
01 広島市位置図 6
02 被爆当時の広島市街図 7
03 目次 8
04 写真爆ドーム、とうろう流し他 9-20 9
05 火傷の傷跡をかかえて 21-22
06 ひとの半分の指で着物を縫って生きてきた 清水ツルコ(1911)明治44年生まれ 23-42 15
07 女の業を深く刻み続けて 池田精子(1932)昭和7年生まれ 43-53 10
08 かっては、私きれいだったのよ 山岡ミチコ(1930)昭和5年生まれ 54-61 6
09 岩谷久仁子(1943)昭和18年生まれ 62-66 4
10 入・退院を繰り返しながら 67-68
11 高橋昭博(1943)昭和18年生まれ 67^69 1
12 松重美人(1913)大正2年生まれ 70 1
13 原広司(1932)昭和7年生まれ 71 1
14 芝間タズ(1908)明治39年生まれ 72 1
15 橋本待子(1926)昭和元年生まれ 74-75 1
16 加藤礼子(1926)昭和元年生まれ
宮田幸子(1925)大正14年生まれ
桑原千代子(1931)昭和6年生まれ
定信多紀子(1932)昭和7年生まれ
74-75 1
17 小倉酵(1809)明治42年生まれ 76-77 2
18 久保浦寛人昭(1926)昭和元年生まれ 78 1
19 宮永初子(1910)明治43年生まれ 79 1
20 室田秀子(1939)昭和14年生まれ 80 1
21 小松清興(1936)昭和11年生まれ 81 1
22 写真 千羽鶴 82-83 1
23 被爆者はうつるけん炊事場に立って食え 金田郁子(1929)昭和4年生まれ 84-86 3
24 今田弥一(1916)大正5年生まれ 87 1
25 あなたも私もいかされているのです 沼田鈴子(1923)大正12年生まれ 88-91,94 4
26 先生、私を男にしないでください 沼田總子(1924)大正13年生まれ 92-93,95 1
27 日詰忍(1902)明治35年生まれ 96 1
28 佐伯敏子(1919)大正8年生まれ 97-98 2
29 下江武介(1903)明治36年生まれ 99-101 2
30 李実根(1939)昭和14年生まれ 102 1
31 原爆の話、孫のためにもちぃーとは話しておかにゃ 金連順(1932)昭和7年生まれ 103-107 3
32 郭福順(1930)昭和5年生まれ 108-109 1
33 鄭寿作(1927)昭和2年生まれ 110 1
34 権順分(1912)大正元年生まれ 111-113 2
35 厳粉連(1929)昭和4年生まれ 114 1
36 金●禮(1912)大正元年生まれ 115 1
37 久保美津子(1928)昭和3年生まれ 116 1
38 豊永ツヤ子(1911)明治44年生まれ・
豊永恵三郎(1936)昭和11年生まれ
117 1
39 宗藤尚三(1927)昭和2年生まれ 118 1
40 平元一登(1897)明治30年生まれ
平元ツルヨ(1900)明治33年生まれ
119 1
41 その時の荷車は今のロールスロイス 梅津康子(1924)大正13年生まれ 120-123 2
42 武内武(1927)昭和2年生まれ
美代子(1932)昭和7年生まれ
124-125 2
43 互いの傷を労りあった50年 (槻山一家) 槻山ミツエ(1906)明治39年生まれ
126-129 3
44 撮るなら、この痛くて箸も持てん手を 山根富子(1930)昭和5年生まれ 130-133 3
45 浜田忠夫(1928)昭和3年生まれ 134-135 2
46 どうせ死ぬのなら、水を飲ませてやりたかった 友保絹枝(1901)明治34年生まれ 136-138 3
47 広島原爆養護ホーム 139-147 8
48 撮影拒否 148 9
49 治らない原爆の傷 胎内被爆小頭症の場合 149-150
50 赤ん坊のあまりの小ささに驚いた 畠中百合子(1946)昭和21年2月14日生まれ 151-155 4
51 水國正義(1946)昭和21年2月12日生まれ 156-157 2
52 茶和田武亜(1946)昭和21年2月8日生まれ 158-160 3
53 田中敏子(1946)昭和21年1月27日生まれ 161-163 3
54 ピカの子じゃけん大きくなえあせん 戸田礽美(1946)昭和21年2月2日生まれ 164-166 2
55 この子を1分でも長く見届けようと 木村勇次(1946)昭和21年3月1日生まれ 167-170 3
56 半径500メートル圏内 171-172
57 結城一等(1905)明治38年生まれ 173 1
58 織田喜作(1918)大正7年生まれ 174 1
59 亀田元市(1927)昭和2年生まれ 175 1
60 山根等(1925)大正14年生まれ 176 1
61 斎藤大望(1930)昭和5年生まれ 177 1
62 嵐貞夫(1936)昭和11年生まれ 178 1
63 太田晴(1937)昭和12年生まれ 179 1
64 樫野三郎(1900)明治44年生まれ 180 1
65 沖野アサノ(1916)大正5年生まれ 181 1
66 写真・とうろ流し 182-183 1
67 林定(1903)明治36年生まれ 184 1
68 川村孝(1904)明治37年生まれ 185 1
69 友田典弘(1936)昭和11年生まれ 186 1
70 秋葉一男(1925)大正14年生まれ 187 1
71 堀江克子(1926)大正15年生まれ 188 1
72 藤山昇(1905)明治38年生まれ   189 1
73 島田節子(1926)昭和元年生まれ 190 1
74 居森清子(1934)昭和9年生まれ 191 1
75 光藤広子(1924)大正13年生まれ 192 1
76 徳清広子(1930)昭和5年生まれ 193 1
77 多堀菊江(1926)昭和元年生まれ 194 1
78 立野ツネ子(1923)大正12年生まれ 195 1
79 柿本美智江(1925)大正14年生まれ 196 1
80 橋垣孝代(1919)大正8年生まれ 197 1
81 半径500m圏内(爆心地図) 198
82 もう一つのヒロシマ毒ガス島 199-212 11
83 夏の記憶 平和公園 213-250 31
84 あとがき 凛然とした歳月 262-254
85 原爆被害MEMO 255
 広島県広島市原子爆弾広島市への原爆投下はだしのゲン佐々木禎子(広島市)/原爆の子の像
 一本の鉛筆/広島平和音楽祭
 
長崎市長崎市への原爆投下永井隆長崎の鐘浦上教会(アンジェラスの鐘)
 Wikipediaより【大石芳野が取材した地域】
 カンボジアアンコール・ワットポル・ポト時代クメール・ルージュカンボジア内戦シアヌーク殿下ヴェトナム

 ミャンマーポーランドマニラニューギニアタイリトアニア沖縄モスクワ讃岐タシケントテヘラン
 ホーチーミン市チェルノブイリアフガニスタンバングラデシュブカレスト/ソウルグラナダノースダコタベルリン
 有松ガーナ
水俣病エレバン
ブックデザイン:木幡朋介/カバー・本文写真:大石芳野/印刷:大日本印刷/製本:鈴木製本所