n大石芳野全仕事
カメラを肩に見た世界
 それは、喜怒哀楽と共に私の心を捉えた
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写真集&エッセイ「コソボ破壊の果てに 
NO 年月日 タイトル 出版社 価格 ISDN 寸法 備考
26 2002.06.11 コソボ破壊の果てに 講談社 \6,800 4-06-211309-0 C0072 221×199×20 クリック
ナチス的なものの再来
 1999年3月、コソボから手荷物を一つ、あるいは何も持たない大勢の人びとが、堰(せき)を切ったように国境に現れた。
 彼らの姿が、突然のように、テレビの画面や新聞の紙面に写し出された。
 一人ひとりの表情は、まるでボロ雑巾のように疲れ果て、うちひしがれ、恐怖にもおののいていた。あまりの痛ましさに、胸苦しくなり、眠れない夜が続いた。
 いったいなせこのような事態になったのだろうか……。この人たちは、いつごろから追い込まれていたのだろうか……。知らなかった、という思いが、さらにわたしを打ちのめしていった。

 ヨーロッパ、なかでも、バルカンは日本から遠い。距離的なことばかりでなく、情報量や意識的な面でも、一般的にはそういえるのではないだろうか。
 ボスニア・ヘルツェゴビナのう年間にわたった卑劣でいて複雑な凄(すさ)まじい戦闘の状況はかなり伝わってきた。
 多くの人たちが関心をもって見守っていたように思う。その戦乱はひとまず終わった。が、燻(くすぶ)りが人びとを希望よりも絶望の影に引き込んだまま長いこと淀(よど)み、停滞しているようにさえ感じられていた。平和はくるのか……不安な日々が続いた。(「動乱に生き抜く」巻末エッセイより)(大石芳野)
 遠い島国からカメラを肩にやってきた大石芳野を、子供たちは、どのような気持ちで見つめているのだろうか。
 物ごころがついた少年や少女たちなら自分たちに起きた悲惨な出来事を理解出来るであろうし、家族兄弟を失い、家を失い、田畑を失い人形までもが傷ついた現状をどのように受け留めているのかと思うと、居ても立ってもいられない気持になる。

 国連大使の黒柳徹子から、民族間の争いで犠牲となる子供たちの話を何度か聞いた。彼女は、涙ながらに惨状を訴えた、「戦争になると弱者は皆殺しにあうのよ。両親は殺害され、民兵として使える少年少女は、連行されるのだけど、赤ちゃんは手足を切り落とし道端に捨てて行っちゃうの、でも、その中から生き残る赤ちゃんもいるのよ」こんもりとした髪を振り立て、声高に話していた状況を昨日のように思い出す。この話を拝聴した時期から、既に25年の歳月が流れた。
 20世紀は、戦争の世紀と良く言われてきた。そして、今も世界各地で争いが続いている。
 民族紛争、宗教紛争、テロリズムとの攻防、領有権紛争、拉致問題など、日本も対岸の火事と見過ごすことは出来ない問題が多々あるのだ。
 その内容は、悲惨を通り越して戦争体験をした私を不安にしている。心の奥底にある蟠り(わだかまり)をどのようにすればいいのだろうか。

 平和呆けと言われる日本人、西の果ての国で起きていた、避難民の惨状を、東日本大震災で多くの日本人はようやく、思い知らされたであろう。
 原発の破壊は、水素爆弾を落とされたような惨状を露呈した。被災した人々は難民キャンプの様な学校や体育館やイベントホールなどに避難を強いられている

 70年前に起きた太平洋戦争の児童疎開、都市から地方への強制疎開等を思い出してしまう。
 大石が半世紀に渡って記録し続けたこれらのカメラアングルを多くの人に見て欲しいのである。
 戦争が終わり何年か過ぎる映像も文字も少なくなり哀しい出来事が今も持続していることを忘れてしまっているからである

 1冊の写真集は組写真という内容を越えカメラを向けた1枚1枚に被写体の表情や周辺の状況が、人が人を不幸にする権限がないと訴えているように感じられる。
 約熱の野に咲く向日葵も道端に咲くタンポポも深い緑の森も、滔々と流れる大河も未来永劫変わらないのに、無知で狭隘な争いに弱者である子供たちが犠牲になる事を阻止し子どもたちの幸せを思う、日本人でありたいと、相変わらず、フォトジャーナリスト大石は、地の果てまでも赴き、人々の心を執拗に追い続け訴え続けているように思う。
(早崎日出太)
    
No タイトル 写真数 掲載頁 備考
1 コソボ破壊の果てに 145 5-164 書き掛項目
2 エッセイ「動乱を生き抜く」 大石芳野 (2002年早春) 165-191
ナチス的なものの再来 165
難民キャンプ 169
子どもたちの心の傷 173
破壊されたふるさと 177
取り残された子どもたち 181
繰り返される悲劇 184
3 コソボ周辺地図(下記 192
4 コソボの歴史 194
5 著者略歴 195
本文・写真:大石芳野/ブックデザイン:鈴木成一デザイン室
地名はアルバニア語とセルビア語が混在