n大石芳野全仕事
カメラを肩に見た世界
 それは、喜怒哀楽と共に私の心を捉えた
トップ頁
主な作品・著作
個展(写真展)
辞書
大石芳野 写真集「コソボ 絶望の淵から明日へ 
NO 年月日 タイトル 出版社 価格 ISDN 寸法 備考
29 2004.04.06 コソボ 絶望の淵から明日 岩波書店 \1,800 4-00-026964-X C0331 155×216×11 ケース入り
 1988年コソボでの撮影記録であると解説にある。「犠牲者は、いつも子どもたちだ」という強い意志と主張が白黒写真で表現されている。
 知人の尼僧に大石芳野さんの近刊の写真集「それでも笑みを」をテーブルに置いた
 「とても、悲しくて、怖くて、見ることは出来ない。」
 と言った。大石さんの個展を一度見に行ったが、悲しくて途中で出てきてしまったと眉間に皴を寄せて訴えた。
 「大石さんの写真は、良く知っている。子どもたちの何かを訴える目を見ていると、その悲惨な状況が見えてきます、戦禍の跡の写真も、手や足を失った人々も何も悪いこともしない善良な人々の過酷な運命に思っただけでも全身が震えて止まらなくなるんです。」
 私が、置いたテーブルの上の本から目を逸らした。
 後日、大石さんにこの話をしたら、
 「私の撮影した写真を目を逸らさないで見て欲しいのです。」
 と、仰った。私が1980年当初、ニコンフォトサロンや、ドイ・フォトギャラリーで見た大石さんの写真は、私を打ちのめした。
 私も、10歳から父に買ってもらった私と時を同じくして生れたドイツ・ツアイス・イコン製の120ブロニ―フィルム6×6版使用のスーパーシックスで疎開先の安土の自然を写したりしていた。そして、戦後アサヒカメラ、等に掲載されるロバート・キャパの写真や土門の「筑豊の子どもたち」、著名人を捉えた「風貌」、「古寺巡礼」から戦場カメラマンを志向し、二度も土門さんに弟子入りを願い、
 「写真家じゃ飯が食えない」
と、体よく断られた。父が早世したため、経済的な理由から写真家になるのは断念したが写真撮影は続けていた。
 しかしながら、二度のコニカ入社を経験したが、結局.、カメラマンには成らなかった。
 不思議な御縁で、大石芳野さんにお逢いする事になり作品の全てを見るチャンスに出会い、大石さんの目の奥底の銀塩に焼き付けられた多国の惨状を見るとき、その映像の一枚一枚に自分自身が目の当たりにした国内の大都市の戦禍と、その時代に出会った同年代の子どもたちの悲惨な戦中戦後を重ね合わせる事が出来る。
 戦後生まれの尼僧との会話は、前述で終わったが、宗教家の思う深く繊細な奥底の信仰、釈尊の人類愛に瞠目してしまったのである。(早崎日出太)
  
外カバー写真/写真集表紙
No 区分 タイトル カット数 掲載頁 特記事項 撮影年度 備考
01 写真編 I.破壊されたふるさと 7 3 書きかけ項目
02 写真編 U.心の闇は深い
23 10
03 写真編 V.険しい復興への道
23 26
04 写真編 W.心の軌跡 6 34
05 写真編 X.ふるきとの情景 5 44
06 文章編 1 .ぺパリムくん破壊された家
49
07 文章編 2 ラビノトくん 心の閻を抱えて  52
08 文章編 3 帰省した人びと
54
09 文章編 4 アフリムくん たとえ一家は無事でも
58
10 文章編 5 タヒレさん家族を失った女性たち
61
11 文章編 6 ヴァルドゥリンくん父親を殺されて
63
12 文章編 7 パイテムくん 戻った笑顔
66
13 文章編 8 イヴァデヤちゃん 恐怖の記憶
67
14 文章編 9 サメディックさん 虐殺の村T
70
15 文章編 10 ファルックくん、フィスニックく 虐殺の村U
72
あとがき
76
関連地図 77
 Wikipediaより
コソボユーゴスラビアマケドニア共和国/マケドニアマケドニア王国セルビアセルビア王国(近代)ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニアヘルツェゴビナ紛争
ヴェトナム
カンボジアカンボジア内戦/ラオスアフガニスタンチェルノブイリ
幀:川島 進(スタジオ・ギブ)/印刷:図書印刷