大石芳野全仕事
カメラを肩に見た世界
それは、喜怒哀楽と共に私の心を捉えた
藤原書店「機」2008.11.No.201 〈不発弾と生きる〉
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主な作品・著作
個展(写真展)
作品展「隠岐の国」
写真集「それでも笑みを」
東京新聞記事2011.4.3(日)
《不発弾》と生きる 祈りを織るラオス
下記の単語は、Wikipediaによるもの
ヴェトナム ヴェトナム戦争 ラオス ハノイ ヴィエンチャン セコン川 メコン川 カンボジア アンコールワット
インド支那戦争 UXO RAO UXO 不発弾 コソボ アフガニスタン シャム ルアンパバーン タンムック織
ボンビー クラスター爆弾 地雷 ロケット弾 仏足(石) 1893年事件 綿の実 ヒョウタン 火炎樹
 ・・・・・・この写真集は2004年から08年までの通算5回分の撮影をまとめたものです
ラオス語ができないわたしには、そのつど優秀な通訳さんのお世話になりました
 
ありがたく思っています。言葉の発音は複雑で微妙なだけに
名称のカタカナ表記は注意を払ったつもりですが間違いがあったり、また、説明を誤解して受け取ったものもあったかもしれません。
写真に登場する人びとの年齢は撮影した年のものです
年齢を記していない人は確認できず記録しませんでした。
取材許可を出してくれたラオス外務省プレスデパートメント
さらにUXOLAO(ラオス不発物処理計画)の方々のお世話になりました。
彼らの協力がなければ、不発弾の取材は進まなかったろうと思います

とりわけUXOは危険な仕事にもかかわらず
取材に協力してくださったことに深く感謝しています。
彼らは日本をはじめとする外国からのささやかな援助で運営している小規模なグループであるだけに質素ですが
危険に対しては万全の注意を払いながら作業を行っているようでした。
隊員は元教員、元役場の人
主婦、店員などさまざまな職種の人たちの寄り合いです。なかには夫を爆発事故で失い「二度と自分たちのような悲しみがないように」と入隊した女性もいます。
みな志を高く持ち、一つでも多くの不発弾を撤去しなければという熱意と正義感に燃えていると思いました
・・・・・・
・・・・不発弾に悩まされる大勢の人びとが
一日も早く人間として当たり前の暮らしが取り戻せる日々になりますように、心からの願いと祈りを捧げる思いです。
(藤原書店「〈大石芳野写真集「不発弾と生きる」のあとがきから抜粋) 2008年10月10日 大石芳野


写真集を見る限り、緑多い国であり、緑豊かな国には水も潤沢に流れているこの国が南北に別れ、国境をはさんで戦争をしていt時代、大小様々な弾薬や地雷を大量に被った。
何時だったか、そのような戦争の歴史をテレビが伝えていた

戦争が終結して30年近くになるのに戦争の落し物が、今だに現地の住民を苦しめている。それも、危険に無知無力な老人や子供たちが犠牲になる事が多いと伝えていた
地中にある爆発物を発見するための機器について
日本の技術者によって開発された優秀な機器が使われていることも解説されていた。
しかしながら、広大な地域からこれを発見し処理をするのは人力である
から、余すことなく全部を処理するに要する年月は、何十年、何百年掛かるか想像もつかない。
UXOの人々が、危険を顧みず次世代の人々のために爆発物をj発見、除去に努力する姿を見ることにより、日本人が体験した戦争の愚かさを持ち続けなければならないだろう

それが大石が全ての人に伝えたいカメラアイであり心底にある正義だと感じる。