大石芳野全仕事
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もう一度、命考えよう (共同通信社配信2011・3・17) 大石芳野

 世界でもトップ級のマグニチュード(M)9・0という地震の規模と大津波。それだけでもとんでもないことなのに、最悪の原発事故が起きてしまった。原発を建設し、増やし、それをよしとして生きてきてしまった私たち日本人は、今になって悔やんでも悔やみきれないのではないか。

 原発が危険であることは、誰でも認識していたと思う。それなのに、なぜストップをかけられなかったのか。それは、権力側が「便利なものの象徴」として原発を宣伝し、市民が不安と引き換えにした便利さを受け入れてしまったからだろう。

 便利であることは、悪いことではない。 だが、ある程度の便利さで十分と思わなければ、きりがない。消費過多の代償としての原発事故だったとしたならば、私たちは、原発がある時代に生まれてきた子ども、孫の世代に、このことをどう説明すればよいのだろうか。 そもそも日本人には倹約を尊ぶ風潮があった。祖母から母へ、さらに私へと着物を受け継ぎ、大切に着た。そういった守るべき文化を、人々の意識を、1970年代以降の日本は捨ててしまった。

 「経済的に豊かになる電車」に乗り遅れないために、お父さんは会社で、お母さんはパートで、みんな、ただひたすらに必死になって働き、マイホームや車を買った。おじいさん、おばあさんのありがたみは薄れ、核家族化が進んだ。子どもが小学校から帰るとお母さんがおやつを出し、ちょっとしたおしゃべりを楽しむといったぬくもりは忘れ去られてしまった。

 変わり果てた家族のありよう、一人一人の文化的な意識の変化の先に、原発を許してしまった国民の姿がある。

 もう一度、命のことを考えよう。命以上にかけがえのないものは、ないはずなのだから。大変な時代になってしまったけれど、一歩ずつ、みんなで前に進んでいこう。(写真家)

井の頭公園が眺望できる大石さんの仕事部屋には取材の為に訪れた、多くの国々の民具や人形や陶磁器や武具や楽器や玩具、お面等、諸々の物で埋め尽くされている
そのひとつひとつが、ワンショットの写真のように、その国の長い時代の厳しいドラマを語りかけているようだ。